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魚座・金目鯛の煮付け定食 ②

↓真鶴町立魚市場

真鶴町の真鶴港にある真鶴町立の魚市場、
さらにその中にある真鶴町立のレストラン。
「魚座(さかなざ)」へ食事に行ったお話ですが、

↓ちょっと離れる
2_20121108204154.jpg
実を言うと、開店時間前に到着しちゃったので、
ちょっと暇つぶしに、近所をぶらぶらします。

近所を歩いていたら、何かがありました。

↓ 「品川台場」礎石の碑
3_20121108204154.jpg
その昔、真鶴は石切場でもあり、
ココからから切り出された大石が
品川の砲台場の礎にも使われました。
その台場の完成は嘉永7年(1851年)。
その台場が埋め立てで無くなることになり、
コノ石は、昭和40年(1965年)に
真鶴へ移されたのだそうです。

凱旋?なんでしょうか?(笑)

↓ 鵐窟(しとどのいわや)
5_20121108203959.jpg
コレが実を言うと、
鎌倉幕府以前の
源頼朝に縁の史跡。

↓洞穴
6_20121108203959.jpg
治承4年(1118年)伊豆・石橋山の戦いにて、頼朝軍は、
3000騎の平家軍勢に対したった300騎を以って
合戦に臨む羽目になり、無残に敗戦します。
真鶴まで逃げ延び、この洞穴に身を潜め、
追撃を逃れ、逃走の機会を見定め、
真鶴から、船で安房へ落ち延びた、
という戦の記録がございました。
その時の残存兵数わずか7騎。
鬼気迫る合戦の無残な結末。

↓云われ書き
4-1_20121108203959.jpg
そういう経緯が記されています。
洞穴の名前が、鵐窟(しとどのいわや)
という名になったのは、闘争中の頼朝軍が
洞窟に潜んだ際、洞穴からシトド(鳥)が
飛び去った、と言い伝えられたためです。
シトド、というのは「アオジ」という
ホオジロの仲間の鳥の事だそうです。

↓これは?なんだっけ?
4_20121108204000.jpg
その経緯を、漢文で記した石碑?
ごめんなさい。よく覚えてません。

ちなみに、洞穴の入口は、度重なる落石により、
史実の当時に比べると、入口がずいぶんと
小さくなっているのだそうなのです。
当時は入口だけで20mほどはあったそうです。、
そりゃあまあ、コノ入口から7人も中に入ってたら
見つかった時点で即オシマイになりますもんね。

↓観音堂
7_20121108203959.jpg
史跡に沿うように置かれたお堂には
観音像が置かれているそうです。
中は拝見できませんでした。

↓坂の港町
8_20121108203959.jpg
山並みにひしめく住宅群の風景は、
モンテカルロか?リスボンか?
はたまたナポリか?長崎か?
その海沿いには、鎌倉幕府の祖
源頼朝の歴史的敗戦にまつわる史跡。
真鶴は、思ってた以上に奥行きが深い。





・・・金目鯛が、まだ出てこないんですが。いいのか?

↓そんなわけで、次回へ続く。
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